三十五万の自由
鎮の空気は、いつものように淀んでいた。埃っぽい午後の日差しが、王阿福の家の煤けた窓ガラスを鈍く照らしている。家の中は、もっと淀んでいた。王阿福の長い溜息と、妻の李秀娟の押し黙った抵抗とが、見えない壁のように夫婦の間に聳え立っていたのだ。
原因は、子供である。いや、正確には、これから生まれるべきだった子供、王阿福の脳内でのみその形を成していた「跡継ぎ」である。李秀娟は、もう産まない、と言い切った。一度ならず、何度も。その声は初めこそか細かったが、繰り返されるうちに、硬い決意の響きを帯びるようになった。
王阿福には、それが理解できなかった。「女が子供を産むのは、鶏が卵を産むのと同じくらい当たり前じゃないか」。彼はそう思っていたし、鎮の多くの人々も、口には出さずとも、そう考えているらしかった。李秀娟の拒否は、自然の摂理に逆らうような、一種の狂気じみた行為に映った。彼の家は三代続く商家で、香火を絶やすわけにはいかない、というのが彼の絶対的な理屈だった。
話し合いは、いつも平行線だった。王阿福の「なぜだ」という詰問に、李秀娟はただ「もう嫌なのだ」と返すだけ。その「嫌」という一言に込められた、彼女自身の人生への言い知れぬ疲労や、個としての叫びを、王阿福は聞き取ることができなかった。彼の耳には、ただ、家の存続を脅かす不穏な雑音としか響かなかった。
周囲の目も、冷ややかだった。「王家の嫁さん、どうしたんだかねぇ」「跡継ぎも産まずに、何様のつもりだ」「可哀想なのは王阿福だよ」 。そんな囁きが、風に乗って李秀娟の耳にも届いた。彼女はますます口を閉ざし、その沈黙は、王阿福をさらに苛立たせた。
やがて、離婚の話が出た。どちらからともなく、しかし必然のように。そうなると、話は妙に具体的になった。これまで感情のもつれでしかなかった問題が、財産分与だの、慰謝料だの、即物的な項目に置き換わっていったのだ。そして、例の「補償金」の話が出た。
李秀娟が「産まない」と主張したことによって、王阿福が被ったとされる「損失」――つまり、跡継ぎを得る機会の喪失――に対する補償。それが、三十五万という数字で提示された。まるで、生まれるはずだった子供に値札がつけられたかのようだった。あるいは、李秀娟の子宮に、使用不能の烙印と共に値段がつけられたかのようでもあった。
調停の場では、役人風の男が、無感動な声で条文を読み上げた。李秀娟は、その数字を聞いた時、何を思っただろうか。侮辱か、安堵か、それとも、その両方が入り混じった、名状しがたい感情だったか。彼女はただ、俯いて、小さく頷いただけだった。王阿福は、と言えば、少し眉をひそめたものの、これで面倒事が片付くなら、というような、奇妙に事務的な表情をしていた。三十五万で、失われたはずの未来が、あるいは妻の拒否権が、清算される。そう計算しているのかもしれなかった。
離婚は成立した。三十五万の金は、通帳の数字となって李秀娟の手に渡った。彼女はその金で、鎮を出て行く準備を始めた。荷物は少なかった。長年住んだ家への未練も、夫への情も、その金の重さと比べれば、軽いものに思えたのかもしれない。いや、あるいは、重すぎて持ち運べないから、置いていくしかなかったのかもしれない。
彼女が鎮を去る日、空はどんよりと曇っていた。王阿福は、見送りには来なかった。彼はすでに、新しい嫁を探し始めているという噂だった。今度は、「ちゃんと産む」女を。鎮の人々は、李秀娟の後ろ姿を遠巻きに見送りながら、また囁きあった。「三十五万か、大金だねぇ」「それで自由が買えるなら、安いものかね」「いや、女としての務めを放棄した罰金みたいなもんだろう」。
李秀娟は、一度も振り返らなかった。彼女が手にしたのは、自由だったのか、それとも、ただの三十五万という金だったのか。その金で買える「これから」は、本当に彼女が望んだものなのだろうか。彼女の痩せた背中を見送る者は、誰もその答えを知らなかった。
鎮の淀んだ空気は、何も変わらない。一つの挿話が終われば、また新しい噂話の種が蒔かれるだけだ。李秀娟が去った家には、やがて新しい女が入り、また子供を産むか産まないかの話が繰り返されるのかもしれない。三十五万という数字だけが、まるで墓標のように、あるいは記念碑のように、人々の記憶の隅に、しばらくの間、奇妙な染みとなって残るのだろう。そして、それもやがては薄れていく。この鎮では、そういうものなのだ。